サッカーコラム
雑誌や色々なサッカーサイトの情報を元に、自分なりにその情報をまとめたコラムです。これを読んで、少しでもサッカーを好きになってくれたら幸いですね。

ジーコ
2002年日韓ワールドカップの日本を率いたトルシエ監督の後を率いたのは皆さんの御存知のジーコ監督。就任当初は結果を出せなかったり選手の起用で色々と言われた監督ですが、それでもきっちり日本をワールドカップに導いた手腕は、評価すべきかと思います。
監督としての成功は今後の努力や勉強も必要ではあるでしょうか、少なくとも、選手として彼の功績は、伝説とも言える本当に素晴らしいのです!


彼を見出したフラメンコ
ジーコは、プロでの生活をここでスタートさせますが、順風満々な物ではありませんでした。その極上なテクニックは幼き頃からその片鱗を見せていたのですが、問題はでした。
16歳で150センチ・40キロとサッカー選手でなくてもこの体型は問題だといわざる得ません。だが、フラメンコのスタッフは彼に肉体改造を施したのです。過度なウェイトトレーニング・ホルモン注射・歯の噛み合わせ・食事療法など考えるだけの肉体改造を解かれたジーコ。彼はそれを強い精神力で乗り越え、19歳でトップチームでデビューした時には立派な体となったジーコが其処にいました。
この事実を知った国民は、ジーコを【サイボーグ】と馬鹿にしたり貶したり色々といわれたようですが、それを一つ一つのプレイで黙らせ、気がついたら「ペレの再来」「白いペレ」と賞賛されるようになったのです。
実際にジーコが率いたフラメンコはまさしく最強のチームで、数多くのタイトルを物にし、その中にはトヨタカップも含まれております。


白いペレ
ペレに次ぐ新たな才能を認められたジーコ。しかし、ジーコはペレとはそのプレイスタイルは全く違います。
ペレは、恐るべきゴールゲッターであり、そのゴールで数多くの栄光を手に入れて、彼がいたチームはそのゴールで多く救われてきました。
しかし、ジーコはそれを演出するまでの仕事を行っておりました。その鋭いパスで相手の隙間をつき、時にはドリブルで相手を切り崩したりと攻撃の全てをつかさどったジーコ。とくに、そのフリーキックの精度は絶妙でした。しかし、それらは全て才能の一言では片付けられません。しかし、誰でもできる事を誰よりも行っていたのです。それは…

「ただひたすらに練習をする事」

これは彼が残した教本に語っている事です。その積み上げたプレイの数々…今、皆さんが思い描いている10番というイメージはペレではなく、ジーコが作り出したものなのです。


優勝しなかった伝説チーム
82年ワールドカップ。ジーコと遜色ない才能を持つ3人の選手が中盤を形成し、その中盤はまさしく黄金の名に恥じない素晴らしきものでした。

その卓越した頭脳で攻撃の流れを作る医師という名を持つ、ソクラテス
惜しみない動きで攻撃に転じ、守備にも多大な貢献をした名選手、セレーゾ
ASローマで『鷹』の相性で知られた万能選手、ファルカン

これにジーコが加わった4人の中盤でブラジルは多大な攻撃力で相手チームを駆逐し、そして、華麗とも言える芸術的なパスワークで試合を支配し、準決勝イタリアに敗戦するまでこのブラジルは、圧倒的強さで勝ち進んでいたのです。
とは言え、優勝して当然のブラジルはそれを土産に帰国できなかったのですが、彼らを迎えた国民は、非難するどころか、拍手で迎えたのです。国民は知っていました。この4人が…そしてジーコが想像した芸術的サッカーがどれだけ得がたいものか、そして素晴らしいものかを知っていたのです。理解していたのです!!故に、このチームは優勝しなくても伝説となったチーム。そしてその中心にいたのはジーコである事を忘れてはいけません。


その後のジーコ
83年、イタリアセリエAにて、 ウディネーゼの一員になったジーコ。彼以外に主力はなく、彼を支えるだけの選手がいないこのチームで孤軍奮闘し、ウディネーゼの勝利に貢献。得点王争いも19点と一位にプラティニに1点差で涙を呑みましたが、その試合数はプラティニよりも少ないものでした。
欧州では、彼の評価は働きと比べ低いですが、彼がどれだけ素晴らしい選手かは多くの人が知っています。実際に欧州でもロベルト・バッジョはこう残しております。

         「私も彼のようになりたい」

と…

そして、母国でスポーツ大臣の席を用意されたにも拘らず、それを持して、サッカー弱小国であり日本に訪れ、2部の住友金属に入団。そして弱小に過ぎなかった鹿島アントラーズを強豪チームに育て、その事が日本サッカーのレベルアップにも繋がったと私は思います。


彼は誰でもできる事と自分のプレイスタイルを評価しましたが、それは決して誰でもないプレイでした。そして、彼が行ったプレイは基本だとも簡単だとも言われてましたが、彼の手にかかればそれがファンタジーとなったのです。
セレソン(ブラジル代表メンバーの意)において、10番を背負った数々の歴代選手の中でも正真正銘のファンタジスタ、ジーコ。その教えを受けた日本はこのワールドカップにおいての活躍を誰よりも期待したいです。


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