サッカーコラム |
雑誌や色々なサッカーサイトの情報を元に、自分なりにその情報をまとめたコラムです。これを読んで、少しでもサッカーを好きになってくれたら幸いですね。 |
チャールトン兄弟 |
66年、イングランドワールドカップにおいて、初優勝を果たしサッカー母国の威信を取り戻したイングランド。当時の代表メンバーに兄弟でこのワールドカップに参加し、優勝多大な貢献を果たした二人。ボビー・チャールトンとジャッキー・チャールトンの事を紹介しよう。 イングランドで最も偉大なサッカー一族 ボビー(本名:ロバート・チャールトン)とジャッキー(本名:ジョン・チャールトン)は幼き事からともにボールを蹴りあった生活を送っていただろう。実際に、彼らにとってサッカーは非常に身近な物であり、互いにプロへと進んでサッカーで生活をする事になんら不思議は感じて異な方と思われる。それは彼らの身近にプロフットボーラー(しかも偉大なという形容詞が付けれる選手もいる)がいたせいだろう。母方の叔父たち、ジャック、ジミー、ジョージ、スタンとその全員がプロフットボーラーであり、その叔父はニューキャッスルの名選手であり、イングランド代表の、ジャッキー・ミルバーンがいる。身近にこんな血族がいるのだ。彼らがその道へ歩むのにはごく自然な成り行きと言える。それでいて、2人ともクラブで活躍し、ワールドカップ優勝と言う栄光をもたらしたのである。 故に彼らが最も偉大無いサッカー一族と言われてもなんら不思議は無いであろう。 イングランドで最も成功したFW イングランドで最も成功した選手と言えば?と問われれば多くの人が弟である、ボビー・チャールトンの名前を挙げることだろう。 深刻な財政難であったマンチェスター・ユナイテッドに就任した名将:マッド・バスビーを喜ばした才能の持ち主であるボビーは、兄と慕う、ダンカン・エドワーズと共にマンチェスターを建て直し、ついにはチャンピオンズカップに挑戦するだけの力量を得る しかし…悲劇は57年ミュンヘンの地で起こる。飛行機事故により、多くの選手が命を落とし、その中にはダンカン・エドワーズのなも刻まれた。助かったとしても、再起不能の大怪我を追ったものも少なくは無かった。その中でボビーは奇跡的にもほぼ無傷で助かったのだが、その恐怖故に立った一晩で金髪の髪の毛の中で何本のもの髪が白髪へと姿を変えたとう。 ミュンヘンの悲劇。この事故はマンチェスター・ユナイテッドだけでなく、イングランドサッカー界にも暗い影を落としただろう。 しかし、ボビーは立ち上がった!監督である、マッド・バスビーと2人でチームを再建し、それから10年後(その10年の間にもワールドカップ優勝を筆頭にいくつ物タイトルを獲得している。ちなみバロンドールを獲得したのはワールドカップを優勝した66年である)…サッカーの聖地。ウェンブリースタジアムでチャンピオンズアップの栄光を本当にその手でつかんだ。そぅ、この瞬間にミュンヘンで散って行った仲間たちの悲願が達成されたのだ。 ちなみに、ボビーはこの祝賀会を欠席している。その理由を彼は涙ながらに妻へと語っていた。 「関係のないメディアの連中と馬鹿騒ぎをするのには耐えられないんだ。 この勝利は僕たち(ミュンヘンの悲劇に遭った人たち全員を含む)の物だ。」 彼にはこの言葉を言う資格がある。 弟と比べ地味な名選手 FWとして、大成功を収め、悲劇を体験しつつも強い意志で悲願を達成した弟であるボビーと比較される事の多い兄のジャッキー。エピソードに事欠かない弟と比べてDFである彼はいささか地味な印象があるが、彼もまた名選手である。 選手時代は、強さと高さを武器に、時には得点も奪うハードなマンマークをプレイスタイルとした彼は、時にはボビーよりも能力が上と歌われたものだ。実際にクラブレコードとなる629試合に出場し、チームの黄金期の立役者なのですが、しかし、圧倒的な存在感を持つ弟と比べるとその存在は霞んでしまう。だが、この兄は弟ですらなしえなかった成功を収めた人物でもある。それは、監督としてワールドカップに参加したと言う点である。そう、彼の栄光はユニフォームを脱いだ後に訪れたのだ! 監督としてのスタートは引退した翌シーズンにミドルスブラを2部リーグ優勝に導き最優秀監督に選出。それだけではなく、1977年より指揮をとったS・ウェンズディの2部昇格にも貢献した。 これだけでも、監督氏として非凡な才能があった事の表れではあったが、さらにその才能を知らしめたのは、86年からアイルランド代表を率いてた後の事である。ほとんど実績のないチームを、88年欧州選手権、90年、94年のワールドカップに導いた。 アイルランドの歴史で初めて外国監督として就任した彼は、クラッシックで王道な戦術を徹底的に代表チームに叩き込むと共に、イングランドにて代表ユニフォームを袖を通せなかった有能選手を次々と発掘してはアイルランドの代表ユニフォームに次々袖を通させたのです。 アイルランドをワールドカップに導いた彼は、アイルランドの国民に最も愛されたイングランド人であり、最も感謝を集めたイングランド人でもあります。 どちらも、サッカー母国であるイングランドが誇るサッカー選手であり、どちらもただの選手では終われないほどの成功を収めました。いずれ彼らの血縁者が、イングランドサッカー会に大きな影響を与える日が来るのも…あるかもしれません。 |